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June 29, 2009

宮城の酒の歴史

宮城県で発行してるメルマガに橋本先生のお酒の話があります。

残念ながら今回で最後だそうです。

今回は宮城の酒の歴史、残しておきたい内容なので転記しました!

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■ 1 みやぎのおいしい地酒 … お酒造りの歴史 ■
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 みやぎのおいしい地酒にまつわるいろいろな話を、毎月1回、産業技術総合センターの橋本主任研究員から紹介していただきましたが、いよいよ今回は最終回のお届けとなります。

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 みなさまこんにちは。お元気でお過ごしでしょうか。酒造の世界には、カレンダーの一年(1~12月)や会計年度(4~3月)とは違う、酒造年度という暦があり、7月1日から6月30日までの一年を年度としています。この連載は、平成18酒造年度の7月にスタートいたしまして、ちょうど満3年、36回にわたりお酒の話を書きつづって参りましたが、今回で最終回となりました。

 さて、今回は酒造の歴史の話をさせていただこうと思います。古事記の伝えるところによると、高天原(たかまのはら)で乱暴を働き、追放された須佐之男命(すさのおのみこと)が出雲国の肥の川の河上、鳥髪(とりかみ)という地にて八俣呂知(やまたのおろち)を退治するため、八塩折(やしおり)の酒を醸し、八つの門に酒船を置いたとあり、ここから古代に荒ぶる神を鎮めるため、神酒を用意する風俗があったことが見て取れます。また、8世紀前期の播磨風土記には「大神の御粮(みかれい)沾(ぬ)れてかび生えき、すなわち酒を醸さしめて、庭酒を献(たてまつ)りて宴しき」と麹の力を利用した酒造りの記載があり、今日の酒造りの原型がそこにあるかと思われます。

中世になると、今日の酒造技術の原型がほぼでき上がります。嘉吉年間(1441-1444)の文献には、奈良菩提山正暦寺で今日の酒母の原型となる、少量の蒸米、麹、生米、水を用いて仕込む菩提もととよばれる手法が記載されておりますし、1570年ごろの「多聞院日記」に酘(とう)とよばれる、菩提もとを母体として3度に分けて蒸米、麹、水を加えて仕込み、大量のもろみを得る、現在の三段仕込の原型が記されております。火入れ(低温殺菌)も同じく「多聞院日記」に記載がありますが、フランスのパスツールが低温殺菌法を発明する300年も前に、経験的にそうした技術が確立していたということは、当時の日本が極めて高い微生物制御技術を(知らず知らずのうちに)有していたと言えます。これらは、寺で造られた僧坊酒(そうぼうしゅ)といわれるお酒の製造手法で、この時代には寺院が酒造技術をリードしていたことが見て取れます。

 仙台藩における酒造りといいますと、政宗が仙台に築城してまもなくの1608年に大和国榧森(かやもり)の杜氏、榧森又右衛門を呼び寄せ、青葉城の三の丸の清水門近くに御用酒蔵を建設し、その付近の水を用いて、城内で用いる酒造りを開始したとあります。当時先進地であった大和である今の奈良県から招かれた又右衛門が造った酒は、イチゴ酒、ブドウ酒、梅酒、薬酒、夏氷酒など二十数種に及んでいたそうで、野外携帯用の印籠(いんろう)酒などというものあったそうです。御用酒誕生により、民間の町酒屋との競争が刺激され、醸造技術を進化させたことでしょう。鳳陽(内ヶ崎酒造店、富谷町、1661年)、勝山(勝山企業、仙台市、1688年)、乾坤一(大沼酒造店、村田町、1712年)、阿部勘(阿部勘酒造店、塩竈市、1716年)、浦霞(佐浦、塩竈市、1724年)などが、その当時に創業し、今日まで続いています。

米の生産性が今日とは比べ物にならないほど低かった当時、仙台藩は厳しい酒造石高の制限をしていたそうですが、宝暦7年(1757年)あたりから次第に緩和され、文化元年(1804年)に至ってから制限令は完全に撤廃されました。この時期に真鶴(田中酒造店、加美町、1789年)などが創業しております。

そして、仙台藩でのそうした新規酒造場の創業に伴い、杜氏に対する需要が高まったことで杜氏の出稼ぎを促し、南部杜氏が成立することとなりました。もともと志和通(現在の岩手県紫波町)では、地域の酒造家から委託で酒造を行う引酒屋(ひきざかや)という下請酒屋があり、当時高い技術を持っていたその酒造家の専属杜氏が引酒屋を巡回して指導していたことによって高度な酒造技術がその引酒屋の杜氏に伝わったことと、元禄年間に泉州(今の大阪府の一部)で発明された千歯扱き(せんばこき)が、文化・文政のころ(19世紀前半)には東北地方まで普及したことにより、それまでの脱穀方法に比べて十倍もの効率になり、年内に脱穀作業が終わるようになったためです。そして仙台領に多くの杜氏・蔵人が出稼ぎに行くようになり、その方々が仙台藩の酒造りを支えるようになりました。
 近年、産業構造の変化に伴い、地元の社員さんや経営者の方が杜氏を務める酒造場も増えてきましたが、社員さんの中には南部杜氏協会の杜氏資格を取得されている方もいらっしゃいまして、その流れが今日まで受け継がれて宮城の酒造りを支えています。

 長い歴史にはぐくまれ、今日まで受け継がれてきた清酒は、その土地の歴史・風土を色濃く反映し、それぞれの地域特有の味わいを持つものとして今日も存在しています。私たちの宮城県にも28社30場が、それぞれの蔵元さんがおいしいと思い、造りたいと思うお酒に少しでも近づけるべく、日々努力を重ねておりますので、今後ともご愛顧願います。そして、いろいろ書いてまいりましたが、味の好みは人それぞれ、ご自分がおいしいと思うお酒をおいしいと思う飲み方で召し上がるのが一番です。清酒は決して裃(かみしも)つけて飲むような敷居の高いものではないはずです。これからもいろいろお試しいただきたいと思います。

 では、長い間ありがとうございました。みなさまに感謝いたします。さようなら。


☆「宮城県産業技術総合センター」のホームページはこちら
 -≫ http://www.mit.pref.miyagi.jp/

☆宮城県酒造組合ホームページ「みやぎの酒 選り取りナビ」はこちら
 -≫ http://www.miyagisake.jp/

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