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2005/01/31

アッという間 その7 「キラキラ光る白い道!」 

対立は伯父のワンマンぶりが原因なのは分かっていた。
2人には現場からの意見があった。しかし、伯父は説明をしない、
トップダウンだ。

どこの会社も同じだと思うが、説明のないトップダウンは、景気の良いときならスタッフが納得していなくてもどうにか回るだろう。。
でも景気が悪くなってくるとそうはいかない。 
批判が聞こえてくるようになる。

飲食店は人と人との商売だ。店の雰囲気で売上げも左右してしまう。スタッフが生き生き働いてないと、美味しいものも美味しくない。

幸いにして、二人はお客様に可愛がって頂いていた。
店長は、自分はお客様に育ててもらった、そして今も育ててもらっていると思っている。

店長が働き出す前からのなじみのお客様も多い。そのお客様たちが、店長を暖かく育ててくれたのだと、私も感じていた。私たちの子供の頃まで知ってるお客様もいるのだ。。。;(^^;)

先日も店長がとてもありがたいお叱りを受けたと言うのである。
ある社長がこっそり店長を叱ってくださった。それは先輩たちが当然のようにしていて、今も多くのお店で行われる国分町の慣習。あくまで親切心で始まったと思うが、不必要なことだった。店長はその何気ない慣習を行っていたことを非常に反省し、以後気をつけるようにした。

私たちはお客様に貴重なお叱り頂くこともありますが、暖かい気持ち、感動も頂いています。

ある日、接客中にお客様の美味しい!という幸せそうな笑顔を見て私までとても幸せな気持ちになっていることに気がついた。美味しい!の時の あの笑顔。本当に最高です。何とも言えない幸せそうな顔なんです。
ああ~。この仕事の醍醐味はこの笑顔だな~。と この仕事だから得られる特別な瞬間!胸が一杯になった。

そういえば、先日飲んで夜遅く 寒い雪の日タクシーで帰宅する時、運転手さんに寒くてこんな日の勤務は大変ですね。明日の朝は凍って大変でしょう。というと、「でもね、こういう寒い日の勤務の翌朝はキラキラした真っ白な道が見られるんだ。とてもきれいなんだよ。」と教えてくれた。
どんな仕事にも苦労はあるけど、この仕事だから味わえる素敵な瞬間ありますよね~!と運転手さんと盛り上がった。

あるお客様は20年ぶりに来ました。まだ店が在って嬉しい。学生の頃の思い出の店なんです。ありがとうと。
また、あるお客様はお酒を父親とはじめて飲んだのはこの店です。またいつか行きたいと思っていたと言われた。
あるご夫婦には結婚前、遠距離恋愛で仙台で初めてデートをしたお店です。と言われたり。。。

商売を永く続けると、こんなありがたい感動を頂けるんだ~と。
じ~ん。。。!!

あるアルバイトが働き始めたばかりの頃、彼女は以前マニュアルのあるファミレスでバイトをしていたが、ファミレスではお客様が注文するとき、ウエイトレスである自分の顔を見て注文されてことがなかった、でもこのお店のお客様はスタッフの顔を見て注文するんですね、ビックリです。というのだ。
しかも、レジで美味しかったありがとう。と仰って頂いたときは感動したと。。。

改めて、私たちはお客様の特別な時間の一部に関わっているんだ。
大切にしなければ、永く続くようにがんばらなければと思った。

しかし この仕事はお一人お一人のお客様から教えて頂く、勉強の毎日。
自分たちの未熟なところを反省し、今日より明日を目指すように心がけるしかないのかなと思う。
完璧にできたらいいのですが。。。すみません、未熟者です。_(._.)_

その8に続く

アッいう間 その6 「伯父との対立」

手伝いはじめて数ヶ月が過ぎたある日、伯父が床屋に出かけて行った。

1時間くらいでニコニコ戻ってきた。めまいがすっかり取れたというのだ。まさか!?
伯父の話では、床屋で散髪後首をマッサージしてもらったら、頭の中でピシッと音がして それからめまいが治まったというのだ。嘘みたいな話だが、主治医の先生の話では詰まっていた血栓が取れたんでしょうというのだ。。。え~???先生は彼は幸運だ。ふつうはその血栓がどこかに詰まって脳梗塞や心筋梗塞を起こすのに元気になっている。運が悪ければ死んでいるというのだ。。。

私はだまされたような気分だったが、ほっと安心した。それから伯父は元気になっていった。
でも、私とは対立することが増えていった。

それは私がそれまで疑問に思っていたことを、質問しては攻めたり、改善策を提案したり、生意気なことを始めたからだ。
伯父の返事は「良いんだ。」「だめだ。」と説明なしの、頭ごなしだった。

私がプリプリ怒ってると、伯父の古くからの友人の元税務署長や建築家の先生はじめ、海兵仲間のおじいちゃんたち(その4)が慰めてくれたり、諭してくれ、何度となく救われた。今も とても感謝している。

伯父が元気になったんだから、このバイトいつ辞めようか?できれば、すぐにも辞めたいと思っていた。
でも、気になることが。。。。。

<<<<<店の状況>>>>>
時々店を手伝っていくうち分かってきた。現場を仕切る店長とママ対伯父の関係がかなり悪いのだ。二人とも伯父を避けている。

店長は伯父がその10年ぐらい前に事情があり住まいを東京に移すことになったとき、誰かに店を任せたいが、子供たちは事業にはいっさい関わりたくないというので困っている。借金もあるし。。

気の毒に思った兄が大学を辞めて店長として店に入った。経営者の世間知らずの甥の若造が冠をつけて入ってくればどこでも起きることだが、いろいろ苦労をし、とにかく仕事は何でもやるようにしてがんばって10年くらい、やっとスタッフから信頼を得ていた頃だった。

ママは伯父が事業に行き詰まって、自殺まで考え始めていたときに励ましてくれた人で、兄のサポーターとして伯父が店に入れた人だった。そんな二人との対立。。。どうにかしないとバブルが終わって不景気がこの先どこまで行くか分からないのに乗りきれないと思った。

昔の伯父の苦しいそうな姿がよみがえる。。またあの姿を見るのは嫌だった。

その7へ続く

2005/01/29

あっという間 その5 「がんばれ若き杜氏!!」 

今朝 NHK仙台のインタビューシリーズ「幸せのカタチ」 若い力で、新しい酒を 宮城県三本木町と題して
うちのオリジナルの大吟醸を造ってもらっている杜氏のインタビューがあった。

彼との出会いは鳴子の酒の「雪渡り」を通じて知り合った。
かれこれ5年ぐらいのつきあいだ。

はじめは彼の酒造りへの真剣さを応援するために「雪渡り」の2期目から取り扱うことにした。
1期目の酒は 一本彼らが持参したものを飲ませてもらったが、特に詳しい訳ではないが、私の好みではなかった。。

取り扱いにあたり、来期は美味しく造ってね。うちの常連さんは舌の肥えた美食家ばかり、美味しければ間違いなく喜ばれると話した。
できあがって来たのはとても美味しい酒だった。

伯父と私は彼は才能があると確信した。
いずれ彼にうちのオリジナルを造ってもらえたらいいよね。。。などと話してた。

その年の5月頃だと思う。杜氏が事務所に企画書を持ってきた。
うちのキンキの味に合わせた酒を造りたいというのだ。。。驚いた。何という縁なんだ。。
すでにラベルのデザインまで考えてくれていた。

杜氏は酒の造りでは一番贅沢な吊しの大吟醸にしたいという、価格は高くなりますが絶対美味しいものにします。という熱い思い、伯父はとても悦び、「40周年の良いチャンスだ!」是非お願いしましょう。となった。
できあがったものは1年を通して日本酒の奥深~い味が味わえるものになった。
この縁で私も日本酒の面白さ、おいしさを知ることになった。
日本酒はワインのように価値のあるもの、日本の長い歴史と文化のある飲み物だ。

今年で3期目だが、1期・2期とも完売だった。 

今日のインタビューでも話していたようだが彼の蔵は大変だった。(全部を見ることができなかった)
若いのに色々苦労していた、経営の話で目にうっすらと滲むものがあったこともある。
味を守りたいので大手の問屋とのつきあいを絶っていた。そのため大変なこともあったらしい。
永く商売を守っていく大変さ、しかも何代も続いたものを守るのは尚更だ。
うちはたかだか数十年だが、身につまされた。。。

杜氏が以前ある問屋さんに無名の宮城の酒を全国区にした飲食店があるから取引しませんか?という話があったけど、それが地雷也さんだったんですね。。。。というのである。
その話を聞いて伯父はとても、とても喜んだ。私は取引先を大切にする大事さを知った。

そういえば、その問屋さん うちが杜氏と取引を始めたころ蔵の話がでて、以前は取引があったがいまはしていない。
「大事にしながったがらだめだおんね~。」とポロッとつぶやいた。

今 その問屋さんは廃業してしまったのだが、伯父が事業を縮小することになった大変な時もおつきあい頂いた問屋さんだった。

その6に続く

2005/01/28

アッいう間 その4 「親愛なるおじいちゃんたち!」

相変わらず 伯父の体調は良くならず毎日を過ごしていた頃。

伯父が今年の年賀状はどうしようかな~。と言い出した。
今年はめまいがひどく、手が震えるので無理だというのだ。

驚いたことに、伯父は毎年数千通の年賀状を手書きで送っていたのだ。毎年、暮れのぎりぎりまで書いていたとのこと。すごい。

データは25周年の記念にプリぺードカードをプレゼントをして集めていたものと、長年 ママとして店を切り盛りしてくれた彼女のアナログ的なデータだった。

彼女は仙台の置屋さんの娘だった方で、接客は天性のものがあり、お客様の顔と名前はすぐ覚えるすごい人だった。

この二人に接客業の極意を見たような気がした。。。

時々、店を手伝ったときは彼女の接客で教えられることが多かった。
昔の人は理屈は言わないで、見て覚えろ。なのでよく見ていたと思う。

経験に裏打ちされたことが大きいんだろうと思った。
今の時代にすべてが合うわけではないけれど、とても勉強になった。

年賀状。せっかく毎年続けていたのなら、やはり今年も送らなきゃ!
でも私は筆で宛名を書くのは無理、PCでデーターべース作りを始めた。

そのころやっと WIN3.1の機種が安くなってきたので私のためにリースで購入してくれた。
まだまだ大きな出費だ。。 まあ、DOSから比べるとソフトも安くなってきたので良いタイミングだった。
仙台にはアクセスポイントもまだない頃だが、全国的にはネットもだいぶ普及してきた頃だ。

毎日、毎日入力作業。。ママが持っていた未整理の山のような名刺の束も整理した。
お陰でテクノストレスに罹ってしまったようだ。

この病気、はじめは気づかなかった、肩こりがひどくなって、整形外科に1年くらい通っていた。
ある日事務所に遊びに来ていた伯父の友人ドクター(東北大学ではじめて心療内科を開設したドクター)に、肩こりがひどくて整形外科に通っているけど治らないと話したら、すぐ自分の病院に来なさいと言われた。
知り合いなのに見てもらうのは嫌だとわがままを言いつつ、渋々、訪ねたらテクノストレスからの不眠が原因と分かった。
あら不思議! その日に処方してもらった薬を飲んだら翌日には腕が上がるし、体の重さもなくなった。
名医とは聞いていたが、やっぱり名医だったのね~。なんて思う、罰当たり者です。(^^;)

伯父のお友達たちは今は穏和な優しいおじいちゃんばかりだ。
しかし、昔はそれなりに立派な人たちばかり。若い頃はピリピリしてたと思う。。。貴様!とか言うし~。

ほとんどが海軍兵学校出身の人たちなのだが、小さい頃、いい年のおじさんたちが海軍の帽子をかぶってみんなで軍歌を歌っているのを見たことがある。異様だった。。。なんとなく恐怖を感じた。

しかしこのじいさんたち、やはり徒者ではない。話をすると楽しいし勉強になる。中にはパールハーバーのあのとき戦闘機に乗っていた人もいる。驚きである。

一度 戦争を知らない友人たちと、このおじいさんたちの交流会を開いた、昔の印象で頭ごなしの交流になるのでは?と心配したが、とても良い交流会で友人たちにすごく喜ばれた。
もっと早くやっておけば良かった~。

その5につづく

2005/01/26

さくらとコロ

p42000051koro3日曜日 さくら(4才 ♀)柴犬とコロ(8才 ♂)ラブラドールの犬2匹といつもの公園に散歩に行った。

さくらは私がしつけた犬で、コロは兄がしつけた。

これが見事にリーダー(飼い主)の性格を受け継いだ。。?

コロは気が優しくて力持ち。興味は食べ物、当然ウエイトオーバー。どちらかといえば引っ込み思案。
あまり走るのが好きではなく、犬より優しくしてくれる人間が好き。 まあ、一般的なラブラドールの性格とも言える。

さくらは気が強くて、負けず嫌い。とにかく公園に居る犬たちに駆けっこ競争を仕掛ける。とくに大型犬に勝負を挑む。
そのくせ負けるのは大嫌い。柴犬は海外でサムライと呼ばれるように辛抱強く・飼い主に忠実。飼い主以外にはあまりフレンドリーな犬種ではない。

さくらも柴犬の特徴を持っているが、子犬の時からたくさんの人に触ってもらったり、たくさんの犬たちと遊んでもらって、警戒心の強さは緩和できた。しかしラブのようにすぐは尻尾を振って寄っていったりしない。

ラブと柴犬は一般に相性が良くないと言われているが、2匹は仲良し寝るときは一緒、ぴったりと寄り添っている。

兄が2匹と散歩をしてると、1歳前後の柴犬が近づいてきてコロのお尻にかみついたそう。
そのときさくらは、じっと見ていたがリードをはずすとその子をワワワワワンと叱りつけ、その子はコロから離れ、おとなしくなったとのこと。 笑ってしまう。

日曜日の散歩のあと部屋でさくらを抱いていると、コロがなにやらそばでジッと座って見ている。
さくらが私から離れると、前足を私の膝に乗せ、ぼくも~、だっこ!!という態度だ。。困った。。
コロは体重30数キロ、さくらは10キロだ。。しょうがなく上半身だけをだっこっするとコロは満足そう。
絶対コロは自分が犬だと気づいていないと思う。


2005/01/24

アッという間 その3 「世間知らず!」 

この仕事をはじめて 自分の世間知らずさに驚いた。

国分町の慣習や今まで知らなかった差別。

働きだしてまもなく、妹とアパートを借りることになった。
前職でもアパートで暮らしていたが、会社が借り上げてくれていたので自分で契約はしたことなかった。

ただ、外国人のためにアパートを契約することはあった。
そのときに日本の外国人に対する差別を知った。
若かった私はなんとひどいと思っていたが、いざ自分がアパートを借りるのに差別を受けるとは夢にも思っていなかった。

飲食店に勤めている女性はだめとのことで、手ごろな価格の住み心地の良さそうなアパートは断られた。
なぜ飲食店に勤めているのはだめんなんだ~? 帰宅が遅いから?私は9時ー5時の仕事で毎日遅く帰宅するというのはないのに。妹は会社員だ。衝撃だった。理不尽と思った。 

伯父にはそういうモンだ。。。と言われた。

飲食店に勤めている男性は?
弊店のスタッフは既婚者か自宅からだったので、差別は受けたことがなかったとのこと、女性スタッフはやはり経験があった。。。

伯父が女性スタッフにはなるべく良い条件で働いてもらっうのは、そんな考慮からだとも感じた。

ある日 6年くらいバイトをしていた中国人スタッフが辞めたいと言い出した。彼女は残留孤児の息子さんと日本で留学中に知り合い結婚した人だった。ご主人の就職が決まらないので、もう少し時給の良いところに移るというのだ。

日本語も問題なく、よく働き、気の利く彼女を、引き留めたいと伯父に話した。
伯父も私も、彼女がクラブやスナックで働くタイプの子ではないと思っていた。嫌な思いや傷つくことになるのが心配だった。

伯父はナンバーワンを目指すのであれば別だが、時給100円 150円 せいぜい数百円違いで働いても衣装代やら、つきあいで手元に残るのは今より少ないはず。。。よく考えなさいと諭したがとにかく働いてみたいとのこと。
そこで伯父は1週間待つので、向こうで働いてよく考えなさいと話した。穴埋めは私が引き受けた。

彼女は 4日後に事務所にやってきた。

彼女がかなり日本語が上手になり、中国人とは思えないくらいになってきた頃、時々お客様にあなたどこ出身?と聞かれることを嫌がっていた。日本名をつけたいとか、日本人なりたいとか言い出した。

そのとき、堂々と中国人です。と答るべきと話した。
きちんと在留資格もあって、まじめに働いてるのだから、胸を張って言って欲しかった。
しかし彼女は、ニュースを見ると中国人が事件を起こしてる、彼らと同じように思われるのが嫌だというのだ。

それは逆だと思った。彼女のようにまじめに一生懸命働いている中国人も居るのだと知ってもらうために堂々と働かなくてはだめだと話した。

それからはお客様と積極的に話してくれるようになっていった。
嬉しかった。

今彼女は退職しているが、働かない旦那さんとは別れ、
公共の場で通訳をし、優しい日本人男性と結婚して幸せに暮らしている。

その4に続く

2005/01/22

犬占いに依ると・・・オールド・イングリッシュ・シープドッグ

犬占い http://www.walkerplus.com/uranai/inu/

基本性格

あなたはおとなしくてひかえめで「大和撫子」のイメージにぴったりあてはまるような女性です。
何人かで一緒にいるときは、でしゃばって自己主張することはまったくなく、みんながその場を楽しめるように気をつかうタイプです。育った環境でもしっかり弟や妹の世話をしていたあなたは、大人になっても優しいお姉さんとしてみんなの世話役をこなしています。

そんなあなたは欠点が少ない人ですが、どこか個性が感じられず存在感の薄いタイプです。
そして「自分の本当にやりたいこと」がわからないと思い悩むこともあるでしょう。
けれど、世話好きで面倒見のいいあなたは、普通の会社では几帳面に事務処理をこなすでしょうし、
秘書のような仕事にも、あるいは保母さんのような仕事にも向いています。

でも一番なのは、妻として母として、あたたかい家庭をつくっていくことかもしれません。

恋愛傾向

無口で清潔感ただようあなたは、美人なのに男性がアプローチしにくい雰囲気を持っています。
男女が数人で会うような機会のときには、男性が最初あなたに好感を持っていても、
くどきにくそうだなと感じて別の女性にターゲットを変えるようなことも多いでしょう。

誰かを好きになっても、自分から告白するようなことはなく、片思いで終わる恋も少なくありません。
想い続けている自分に満足してしまい、それ以上を望まないことに慣れてしまっているところがあります。
あなたには、明るくて誠実で社交的なO型の男性が合うでしょう。
A型男性だとお互いギクシャクして仲が進展せず、B型男性だとふりまわされすぎて疲れてしまいます。
彼の好きな趣味につきあっているうちに、自分もそれが好きになっていくような関係で、二人の仲は深まっていきます。

だそうで。。。え~??? とはじめは思ったが、 微妙にあってるような。。ないような。。。夜の生活はあってるかも。。。しかし子供には刺激が強すぎるので、省きました(^o^)(^o^)(^o^)

2005/01/21

アッという間 その2 「タイムカプセル!」

重い空気の中、毎日出勤した。
仕事は 体調の悪い伯父を補佐することで大した仕事はなかった。

驚いたのは、伯父が12年前と何一つ変わらない仕事をしていたのだ。。。
取引先も、伝票も、仕分けの仕方も、事務の備品も何もかも変わっていないのだ。変わったのは経理スタッフと総務スタッフ(とてもかわいがって頂いたな~。)が居らず、ワンフロアーが、半分のサイズになったこと、PCが導入されていた。
以前はピアノのようなコンピューターがあったが、60を過ぎた伯父がなかなかの手つきで打っていた。
覚えるのにかなり苦労をしたようだが、伯父のセンスにはビックリした。

しかし、商いって、飽きないでやるって言うけど本当だわ~。と感心!

今回手伝い始める前、やはり12年前(ビックリ 細木数子の12年周期まんざら嘘ではないかも?)
1年間だけ伯父を手伝っていた。13店舗を3店舗に縮小たものの経営は安定せず、毎日金策に走る伯父を見ていた。

結局そのころと同じ仕事をすることになった。 仕事はすぐ覚えてというより思い出してすぐ退屈になった。。。

伯父は治まらないめまいを抱えながら毎日出勤してきた。あのタフさは。。。戦中戦後を生きた人間の強さ・たくましさはすごいと思った。考えてみれば、伯父たちの世代が今の日本を創った言える。。。今新聞などで暴露されている悪い習慣も?。。。(^^;)(-_-;)

とにかく、担当の仕事はすぐ片づくので、はじめの1ヶ月は一日の半分は掃除をしていた。
伯父の病気や経営状態のこともあるが、事務所が暗く、気分が重い、ジッとして居てもつまらないし掃除をした。
はじめてみたら、壁やキャビネットが長年のたばこのヤニで茶色だったのだ。。。
全体がきれいに(?)茶色だし、家具も動かさないのでそんなに汚れているとは思わなかった。

きれいになると事務所の空気が変わったような感じだった。
それからは 一日一笑いを目指し、事務所や従業員を明るくする作戦を始めた。

その3につづく

2005/01/20

ああ~!アッという間の12年 その1

今の仕事に就いて 今年の春で丸12年が過ぎる。。。早い。
本当にあっという間だった。

きっかけは 伯父の病気。 
私はしばらく仙台を離れていて、実家に戻ったばかりだった。
そろそろ自分でビジネスを始めようと思っていた。

そんな時 伯父から実家に電話があり、これはグッドタイミング!
新しいビジネスについて相談しようと伯父夫婦を訪ねた。

ところが様子がおかしい。伯父は寝間着姿で青白い顔、
寂しそ~うに、あと半年くらいで俺は死ぬと言われ、
これはこれは大変だ~。あらら、半年のアルバイト・・・するか~。
と手伝い始めた。 

世の中は、バブルが弾けて数年すぎた平成5年。
手伝い始めてすぐ、これは伯父の体調より会社が大変だと気がつく。

伯父は以前 13店舗の飲食店を経営していたが、度重なる不況なので多額の借金を背負って、1店舗だけを残し、年金と店からの上がりで細々と返済していたのだが、まだ半分も返済してなかった。
しかも借金の形に私の実家も抵当に入っていた。。

父が亡くなっていたので、私はそれまで知らなかった。
実は私たち家族は誰も知らなかった。。。(^^;)

バブルの時はかなり景気が良かったと聞いていたのだが。。。。利息も高い頃だし。。。
バブル崩壊の影響で店の売り上げは年々落ちてきている状況だった。
しかも、経営者の伯父と従業員とのコミュニケーションは最悪。
社内の雰囲気はかなり悪かった。

私も伯父に怒りを感じないではなかったが、
年老いた病人を攻める気にはなれなかった。
しかし、気持ちは晴れなかった。。。。

その2に続く

2005/01/19

かわいい姪

きのう 高校生を持つ親の話題だったが、私は娘はいないが、高校生の姪がいる。

来年 高校2年生の予定、彼女にとって今学年は大変な年だった。
無事進級できたら 私の持っている指輪をプレゼントするつもり。(高級品ではない)

今後は アクセサリーをプレゼントしてくれる彼女の大切な人が現れるまで、
節目ごとにアクセサリーを送りたいと思っている。

姪には 家族から引き継ぐ物を大切にし、次に繋いで行く気持ちを持ってほしいと思う。
家族から受け継ぐ、文化や習慣は大切にしてほしいのだ。

昔ながらの家と言うことではない、人が生まれ、家族を持ち死んでいく。
生命のの歴史を大切にしてほしいのだ。

一人の人生は 地球の歴史の中では点にすぎないが、その点が繋がって今の一人が存在するのだから。。。
女性は特に、パートナーの家族の文化と歴史・自分の家族の文化と歴史を融合させ発展させる役割があると思う。

最近初めて知ったが、着物についてる女性の家紋は本来 嫁いでも母方の紋を受け継ぐとのこと、
母方の文化を大切にする気持ちが感じられる。

2005/01/18

負け犬 杉田かおる。。。過ぎた?かおる

負け犬と呼ばれた 女優 杉田かおるが結婚した。
言うなれば、私も 負け犬。。。あの本はこの言葉が好きではないのでまだ読んでないが。。。

玉の輿とのこと。。。
うらやましい。。。嬉しい。。女40まだまだやるじゃん。と思った女性・男性、 様々!

私の周りには負け犬 女・男がいっぱいだ。  
男性は 負け犬ではないの?  本を読んでいないので定かでないが、
40代以上 独身男性が同じ定義になるのかな~?

男は種の保存が本能だから 嫁を持っていても子供がないディンクスはどうなんだ?

人生に勝ち負けがあるのか?・・

先日 美容室で娘が思春期に一時的に父親が嫌いになるということが話題になった。

あれは母親が父親を汚い者扱いをするせいではないかという意見がでた。

16.17才くらいの娘を持つ両親は40代! 身近に何人か。。。。
そういえば、亭主が汚く見てるようです。

おなかは出っ張り、仕事の責任も重くなり、疲れている。
知り合ったときのエネルギッシュさが。。。消えつつある旦那。

40才くらいの女房たちは逆に元気! 
忙しい子育ても終わり、ある程度生活にもゆとりが出てきて自分のための時間が持てるようになる。
まだまだ恋もできると思っている。 (実際できると思う)
しかし 若い頃の様な輝きはない。娘と比較すると。。。寂しい。。

旦那は仕事で忙しく疲れていて、自分を女性と思っていないのでは?と思いイライラする。
そうなると、旦那の疲れてだらしない様子が疎ましくなり、汚いと感じる。

これを聞かされる娘は 男性を意識しだし、恋をするお年頃、
しかも父親も男性であることに気づくころで、そんなとき、母親からの「パパは汚い」との情報。 
この年頃は潔癖で何にでも過剰反応する。 ゆえにパパは汚いになる。

私は母親を早く亡くしてるので、父親を汚いとは思う環境には育たなかったが、
中学くらいに男の子たちがホルモンのせいなのか色めきだってきて、
そんな男と父も同じ男と思うと嫌だった。

高校生が高級ブランドのバックや財布を持っているのも可笑しいという話がでた。
母親も子供と張り合ってる服装も可笑しい。。。。

それでその父親はユニクロだったり、ジャージでは。。。

「いい女はいい男を育てられる女性」を言うのでは? 

「いい男はいい女を育てられる男性」ではないのか?

これから女性の社会進出が益々増え、信用される素敵な男性は優秀な女性の部下を育てる。
優秀な女性部下を持てる男性がいい男になり、社会的に良い仕事をすると確信してる。

元負け犬 杉田かおるには期待している。女性が独身で40まで生きてくるにはいろいろ苦労があって逞しい。
これからwiseな女性の美しさを見せてほしいな。。。パートナーとの良い関係と女優としての彼女が楽しみ。